剋されることについて

2024年05月08日 | HISOKA.のひとりごと, 占い

こんにちは。静岡の占い師HISOKA.です。

今更ですが、名前の後にピリオドがついているのは画数を13にしたいためです。
芸事、伝達に関してはこの数字が良いこともあるのですが、本名の人格(姓の最後と名前の最初の文字の画数)とも一致させています。
宿命と環境の一致と同じく、仕事で使う名前もそういうリンクは必要です。

さて、今回は生剋比の剋について思うことを書きます。

じゃんけんの例で説明をすると少しわかると思いますが、力関係の勝ち負けみたいなものが剋の関係となります。

チョキはパーには強いです。チョキがパーを剋すことになります。逆にパーはチョキに剋されます。
チョキとチョキは同じものなので、比和というものになります。
じゃんけんには自分を助けてくれるような力関係のものはありませんので、剋と比だけですが、剋というものはわかりましたでしょうか?
自分を押さえつけるもの、算命学的には鍛えるものとします。

そう考えると、自分にとって厄介な存在、力関係だと思うことでしょう。

占いでいうとその人の宿命を人体図というものに表したときに、自分自身が、親や社会から剋される、とか、親や配偶者を剋すというような、それぞれのタイプがわかってきます。

自分をとりまく人物というのは、人体図でいえば、親、友人、配偶者、子供になります。親というのは目上の人という意味もあって上司のこともあります。友人は社会という意味もあり、子供は部下ということにもなります。

人体図を見ることによって、誰から剋され、誰を剋すのかがわかります。

では、剋されるから、相手に対して苦手意識を持ったり、かなわないというものなのでしょうか?

人体図の本来の意味からすると、中央が土の属性で北が水、東が木となります。
中央から見ての北は土剋水となり、自分が剋す立場になります。
中央から見ての東は木剋土となるので、自分が剋される立場です。
それが本来の姿で自然です。ですから、剋すことも剋されることもそれ自体悪いことではありません。

今回のタイトル、剋されることについてですが、本来の在り方でいえば、社会から剋され、鍛えられることは自然であり、社会で苦労することで人間性の向上につながるという話になります。
実際には何度か失敗を重ねながら、自己錬磨を繰り返すことで成長し、処世術も身につき、失敗も少なくなっていきます。

悪いことではないでしょう。あるべき姿です。

では、先ほどのじゃんけんの話でありましたが、「あいこ」にあたる比和の場合はどうでしょう。
自分自身と社会が同じ立場なので、対等意識が強くなります。組合などの集団つくりでは活躍しますが、サービス業ではお客様に対しての対応は悪くなることもあります。対等意識なのだから。

ですから、今回お伝えしたかったことは、剋されること自体が、よくないことではないということ。
剋される環境にいたほうが、伸びる人もいます。